ラブ・レター

また、来てしまった。


ここへ来たことを、ちょっぴり後悔する。



ときどき、瞬間移動の女と呼ばれる。

ときどき、今日は何処にいるの? と言われる。

ときどき、自分でも朝目覚めて、今日はここに来ていたんだっけと思う。



私は友達が少ない。

というか、友達を作ることが怖くて仕方がない。



むかーしむかしのお話だけど、思い返してみれば、四半世紀も前のこと、25年も前のことだけど、友達と思ってた人たちと友達じゃなくなったことがあった。

中学時代の後半は、学校でひとりで過ごすことが多かった。

誰の言葉を信じればいいのか、わからなかった。

ラジオから流れてくる声を聞くことが、私が信じられる、希望を持てる唯一のことだった。



あの頃から考えると、信じられる人たちはバカみたいに多くて、応援してくれる人、遊んでくれる人、たくさんたくさんいる。

でも、実は四半世紀前の呪縛から解かれていない自分を感じる。


思い込みだってわかっている。

大好きだって言ってくれる人だっている。

助けてくれる人は大勢いる。


それなのに、頭でわかっていても、心が「本当に?」って聞いてくる。



今、新幹線の中でこれを書いている。


今日、京都の仲間たちが誘ってくれて、私は名古屋から参戦した。

本当はもっともっと一緒にいたい。

本当は暇があったら、もっともっとみんなと遊びたい。


ただ、物理的な距離が邪魔をして、なかなかそんなわけにもいかない。


さみしくて、さみしくて。

会ったときは、めちゃくちゃ楽しくて、その反動で帰り道はものすごくさみしい。


そして、私が行って、本当によかったのだろうか?

と、不安になる。


好き勝手に発言をして、行動をして、それで許されているのだろうかと、未だに抱える黒いドロドロの記憶に引っ張られる。


情けないなー。



過去の記憶なんて、化石みたいなものなのに。



掘り出されて発見されて、分析されて研究されて、そんな時代もあったのかと、言われる。


ただ、それが、なんなのか。


過去がいろいろあったって、今の生活が急に変わるわけではない。

恐竜の新しい化石が発見されたからといって、明日の朝ごはんの味噌汁が白湯になるわけではない。

古代遺跡が発見されて、過去の時代の歴史は大きく違っていたのだと言われても、明日、仕事に行くことに変わりはない。


過去に友達がいなくなったからといって、今の友達がいなくなるわけではない。



あぁ、大好きだよ。みんな。


そして、今、友達でいてくれている人たちに感謝しています。