フラれた話。

白衣という戦闘服を

今日は脱いで置いてきた。

もうひとつの、戦闘服を身につける。

 

スーツって普段は全く着ないので

ジャケットを羽織ると、気合が入ります。

 

ちょっと、外で発表してきます。

f:id:heibon-life:20181107092845j:image

 

数ヶ月前に、〆切直前に降ってきた、この話。

本当は違う部署の人がやるって話だったので、全然触れずにいた。

「うちの部署、忙しくてできませんよ!」

そんな課長へのメールをccだったので、横目で見ていたら

「じゃ、松下さんお願いね」

メールが降ってくる。

……。

いやいや。

気づかないフリをしていたら、

「よろしくね」

と、斜め横の席の課長から、声を掛けられる。

「……はい」

 

私にフった理由のひとつが、

「松下なら、なんとかするだろう」

って。

オイオイ。

無茶振りもいいとこですね。

まぁ、そう言われるのなら、なんとかしますけど。

 

そんなわけで、津まで行ってきます。

 

超アウェイなんだろうな。

(課長とか営業さんはいるだろうけど)

緊張はするけれど、そんな状況も面白い。

 

さて、原稿を読み直すか。

プロフィール

プロフィールを書いてください。

 

そう言われて、書くことになった。

書こうと思ってiPhoneのメモを立ち上げる。

 

1979年名古屋生まれ。

 

……ここから続かない。

あれ?

何かあったはず。

何だろう、なんだろう?

 

今回のプロフィールは、ライターとしてのプロフィール。

というのも、「書くこと」を勉強している本屋さんで新しいメディアが立ち上がり、そこに記事を載せていただけることになった。

http://tenro-in.com/web-reading-life

そこで、ライターとしてのプロフィールを、と言われたのだ。

 

うーん。

改めて考えてみると、「これ!」というものがない。

ライターとしてだけでなく、私という個人として。

何か成し遂げたことがあっただろうか、と。

表立って、「私、こんなんなんです」と言えるものがない。

あったとしても、会社に属する私としてのもの。

肩書きだとか、こんな研修を受けたとかいうもので、それらは会社名を出さないと書けない。

 

いやー、辛い現実。

 

39年も生きているというのに、なんだかなー。

 

 

ただ。

今、やっていることは、個人として、何かがほしくてやっている。

「書くこと」だったり、「撮ること」だったり。

もしかして、ライターとかカメラマンとか名乗ってもいいのかもしれない。

名乗るだけなら、自由だから。

でも、そう言っていいだけの実力を伴っているとは到底思えない。

 

たぶん、「そんなことないよー」って言ってくれる人はいると思う。

私は自己肯定力が低いというのはわかっている。

 

でも、まだ、私の力を求められてはいない。

だからこそ、学びを続けるんだと思う。

 

だって、なんだって、書くことや撮ることは楽しいから!

情緒不安定。

絶対、これヤバイ。

 

昨日から、じわじわと感じていた。

気のせいだと思いたい。

昨夜はライティングの課題の提出日だったんだけど、ヤバイ気がすると、睡眠を優先した。

プロになる気がするあるのか! と叱ってやりたいところだけど、「今日はまぁ、いいと思う」ってそっち側の私(叱る私)も許した。

 

今日は朝から会社に缶詰めで、さっき仕事が終わった。

空を見上げて、

「まだ明るいな。夕焼け空が綺麗だな。うろこ雲が秋らしいな。いつのまにか秋なんだ」

って思いながら、会社の駐車場で写真を撮って、インスタにあげた。

車に乗り込み、ホッとしたら、急に泣けてきた。

 

涙腺の故障。

 

喜怒哀楽を抑えていて、周りからの暗くて黒いものを受け止め続けてると、ときどき起こる。

愚痴とか悪口とか「そーだねー」って受け流していても、部屋の隅の埃のように集まって、ヘドロのようにこびりつく。

本当はそんな話がしたいんじゃなくて、もっと前向きな建設的な話をしようよ、って思ってもそっちに持ってくのはなかなか上手じゃなくて。私もそういう感情を持ってしまって、あかんよーもっと前向きに行こうぜーって、ベクトルの方向を変える。

そうやってぐるぐる立ち回っていると、知らず知らずに考えていることや思っていることが抑えられて、自分では抑えてるつもりじゃなくても、無理してるよーってカラダが教えてくれる。

冷静に「ヤバイんじゃね?」って見ることができているから、まだいいんだけど。

 

まだいいんだけど。

なんて言って、また抑えているのかもな。

 

私は、私でいたい。ただそれだけなのに。

 

ちょっと、ゆるめよう。

美味しいもの食べよう。

いっぱい寝よう。

自分を甘やかそう。

逃げるな、自分!

交通費、もったいないじゃん

 

世間では3連休と言われている、この週末の予定を母に話したときだった。

交通費がもったいない、と言われてしまった。

確かに、そう。

仕事と京都を行ったり来たりの、サンドイッチの予定になっている。

結果的にそうなってしまったわけで、決して意図したわけじゃない。

普段はなかなか休みが取れない土曜日に休みになり、普段は休みの日・祝が仕事になっただけの話。

 

究極のサービス業。

そう呼ばれているのが、医療職。

来年度から、残業規制で会社に罰則が与えられるらしい。

その中でとりあえず除外されているのがドクター。

ここから残業になるから、とりあえず手術は中断します。えーっと、続きはインターバルを置かなきゃいけないから、13時間後にしましょうか。

なーんてことは言えないわけで。

 

長時間の手術があるかもしれない

夜中に急に病気になるかもしれない

事故だっていつ起きるかわからない

 

じゃあ、病院は24時間365日営業しますねー。

 

患者さん立場からすると、すごーく助かる。

病気や怪我は嫌だけど、患者さんがいなければ病院も成り立たないわけで。

患者さんを第一に考えた結果、そうなる。

 

さて、患者さん第一、というけれど、全てが全て、それでいいのか……。

 

さらに書き進めたいところだけど、これ以上は本職のグチになってしまいそうなので、やめておこう。

 

(ちょっと違う観点に変えてみる)

 

休みば欲しいよー!

 

と叫んでいる私は、ドクターにはならないなー。

と、ぼんやり思う。

ドクターになれる頭もないけれど、そこのところは置いておいて。

 

休みが欲しい、という欲求。

この欲求はどこからくるのか。

休みにやりたいことがあるから。

じゃあ、休みに何をするかってこと。

 

体を休めるのは……睡眠を取れば回復するので、睡眠時間が取れればいい。

本を読んだり、写真撮ったり、文章書いたり、海外ドラマ見たり、ゲームしたり、何か作ったり、何処かへ行ったり、誰かと話したり。

 

そんな休みにやっていることが、仕事にならないかなと、ときどき思う。

ときどきが、すこーしずつ、大きく長くなっているような気も、する。

 

ただ、やりたくないことがあるから、そこから逃げているだけなんじゃないの?

そういう自分の問いかけもある。

 

何を足踏みしているんだ。

ただ進めばいいだけじゃん。

振り払うように、そんな言葉も湧いてくる。

 

さて。

今日の仕事、がんばろ。

がんばって、早く終わらせて、京都に行こう。

廃人化現象

本、漫画、ゲーム、海外ドラマ……。

 

ときどき、これらを求める欲求がハンパなくなる。

手を出したら最後、スキマ時間を見つけてハマる。

 

しっかりしろよー、やることやれよーっていうヤツと、まぁ、いいじゃん。ちょっと息抜きすればっていうヤツとが、私の中で戦う。

でも、戦う前から勝敗は決まっている。

ダメだダメだと思いつつ、欲望に飲み込まれてしまうのだ。

 

ケータイがiPhone8になってからが、また大変。

もともとケータイ依存症なのはわかっているんだけど、快適になって拍車がかかっている。

 

なんで、ゲームってこんなに面白いんだろう……。

 

私はがっつりファミコン世代。

小学生のときに、ファミコンが我が家にやってきた。ディスクシステムゲームボーイスーパーファミコンプレイステーション、DSといろいろあったなーと。

兄弟でやいのやいの遊んだ。ドラクエのセーブが消えてしまい、泣き叫ぶほどのケンカになったこともある。Dr.マリオは家族中で遊んだ。大人になると、プレステってこんなに簡単に買えちゃうんだと感動した。

 

子供の頃は、ゲームは子供だけがするものだと思っていた。

でも、大人になっても面白いものは面白い。

 

アクションとかシューティングとか、早い動きが必要なものは苦手。

RPGとかシミュレーションはじっくりできて、好き。ときどき、ストーリーに泣いてしまうことだってある。

 

最近のお気に入りは、謎解きゲーム。

逆転裁判に、今さら、どハマり。

もともとDSでやってたのに、今はアプリで遊んでる。

 

朝起きて、やって、

会社でご飯食べながら、やって、

帰ってきてからも、やって、

やりながら、寝落ちする。

ずーっとやりすぎて、やりすぎて、やりすぎて。

 

廃人と言われてもおかしくないくらい、やってると思う。

 

どうやって抜けようかと思ってたけど、もうこの際、飽きるまでやろうかと、そんなふうに思っている。

だって、面白いものはしょうがないじゃない。

 

そういって、廃人化を正当化する、末期症状……笑

文書化のストレスの果てに。

ふと、毎日のようにやっている仕事を、文章で説明したらどうなるか。と、考えた。

 

例えば……

 

血清とは、血液が凝固した後、遠心分離をしてできた上清のこと。

そうすると、じゃあ「凝固」って? 「遠心分離」って? と、なる。

 

無限ループだ……。

 

というのも、ここのところ、日常業務以外で、業務を文書化することとか、私のいる部署の業務を知らない人に説明することとか、教育することとか、

行動を言語化することを、いつにも増して、している気がする。

わかってもらえるように説明することは、なかなか難しい。

ただまぁ、そういうことが苦手かと言われると、そうではない。それに一応、今いる係の責任者でもあるので、その役割が私にまわってくるのは当たり前のことなのだ。

 

とはいえ、労力をやたら使う。

もう、文書化とかわけわかんねーよっ! って叫びたくなる。

アタマもカラダも消耗……。

 

そもそも、文書化って、時代遅れだよなーってしみじみ思う。

文章を書く勉強をしているけど、業務を文書化したような、誰も読まなさそうなものを書きたいとは思わない。

そんな文書化するくらいなら、今、やってることを撮影して、編集して、補足説明を入れる方がわかりやすいじゃん!

血清とは。って語るより、画像で示せばいいじゃん!

 

いやー、マジでやろうかな。

でも、そこに労力を使いたくないな。

どうせ撮るなら、かわいい女の子とか、かっこいい男の子の方がテンション上がるし。

 

そうだ、明日の休みはカメラを持って出掛けよう。

それがいい。

マティーニは大人の味

「みんな、1杯ずつなら奢ってあげるー」

そう言われて連れていかれたのは、名古屋駅にあるホテルの最上階にあるバーだった。

入社1年目の何かの会で、ホテルのビュッフェに行った。飲みより食べる会だったので、「ちょっと飲みたいね」って先輩と話していたら、上司が「連れてってあげる」と言ってくれたのだ。

 

「すごいね!」

「めっちゃオシャレー!」

最上階のバーというシチュエーションで、みんなのテンションはこれまでにないくらいに上がる。

「何にするー?」

メニューを差し出されたが、よくわからなかった。チェーン店の居酒屋か、それに毛が生えたくらいのオシャレ居酒屋でしか飲んだことがない。ビールとか酎ハイとか、カシスオレンジとかモスコミュールとか……見慣れた文字を探してみるけれど、見当たらない。先輩たちは、それぞれオーダーをする。

マティーニにしようかな」

私はメニューとにらめっこしながら、どうしよう、と焦っていたら、隣に座っていた先輩がマティーニを注文した。

「あ、私もマティーニで!」

映画やドラマで聞いたことはあるけど、口にしたことはもちろんなかった。でも、ちょっと興味がある。

 

マティーニです」

目の前に差し出された三角形のカクテルグラスの中には、透明な液体。その中に、ちっちゃい串に刺さった丸い……何かが入っている。

「みんなそろったー? じゃあ、カンパーイ!」

少しの衝撃で壊れてしまいそうなグラスを、おそるおそる合わせる。

オシャレっぽいのはわかるけど、初めて目にする飲み物にドキドキしながら口をつける。

 

うっ……。なんだ、これ。

軽く口に含んだ液体は、「俺、アルコールだぜっ!」と、主張していた。飲めないことはないけれど、美味しいと思えない。口をつけるたびに、「んーっ」と口を横におもいっきり引きつらせながら、喉の奥に押しやる。喉を通過するときも、刺激がすごい。

もっと知っている飲み物にすればよかった。名前だけで選ぶんじゃなかった。

マティーニって、大人の飲み物なんだな。

52階からのとびきりの夜景を見ながら後悔をした。

 

それが、マティーニとの最初の出会いだった。

 

マティーニとの最初の出会いから数年後、マティーニの中に入っていた丸い何かがオリーブだということも知り、行きつけのバーもできて、お酒もいろいろ飲むようになっていた。

 

カラカラカラカラ。

氷とガラスがぶつかり合う、小気味いい音がする。

ミキシンググラスと呼ばれる、ロックグラスよりひと回りかふた回り大きいグラスに、氷がいっぱいに入れて、グラスの中をかき混ぜている。

かき混ぜる動作が「ステア」ということも、このバーに通ううちに覚えた。

持ち手が螺旋状になっているバースプーンを器用に動かしている指先を、ついじっと見つめてしまう。

次は人差し指と中指で支えられた、砂時計のような形をしたメジャーカップにジンが注がれる。次の瞬間には、くるっと傾けられ、ミキシンググラスの中に注がれる。続けて、もうひとつ並べられた瓶からも液体が注がれる。

カラカラカラカラ。

またステアをする音がする。

グラスに顔を近づけ、香りを確かめる。きっと何回混ぜるかは決めているんだろうけど、最後は感覚に頼るようだ。静かに頷き、カクテルグラスに注がれる。

 

「はい、どうぞ」

差し出されたグラスに顔を近づけ、香りを楽しむ。しっかり冷えているので香りが立つわけではないけれど、その中にふわっと香るマティーニ独特の香り。

あぁ、そうそう、これ。

自分の中で確認をして、口を近づける。

くいっと、少し多いかと思うくらい口に含む。

口に含むと同時に強いアルコールを感じる。すぐに喉には流さずに、アルコールの刺激を少し楽しむ。体温でマティーニの温度も少し上がる。ジンの味、香りが口いっぱいに広がる。マティーニの温度が上がりきらないくらいで、コクンと喉に流す。喉でも強いアルコールを感じる。

 

「うん、美味しい」

 

そう言ってみるものの、マティーニの味なんて、正直よくわからなかった。何度か飲むうちに、これが美味しい味なんだっていうことがわかったくらい。

 

それでも、ときどき、飲みたくなった。

いや、飲みたいんじゃない。眺めたかった。

マティーニを作ってくれる姿を。

 

会社帰りに、立ち寄るお店。

お酒が目当てと言っていたけれど、本当は会いたい人がいた。

行けば必ず話すことのできるバーテンダー

私は彼に惚れていた。

 

マティーニはシンプルな材料、手法で作られるから、バーテンダーの技量が試される飲み物らしい。

だからなのか、「マティーニ飲みたい」と言っても、「今日はムリ。代わりにこれ飲んどけ」と、断られることもあった。普通なら、いや、客なのに、と思うところだけど、そんな扱いさえ、ちょっと嬉しかった。

 

こちらから「飲みたい」と言っても作ってくれないのに、ときどき、練習といってマティーニを突然作り始める。

マティーニを作るときは、彼は集中していた。だからカウンターを挟み、正面でじっと見つめていられた。カクテルを作る姿に興味があるフリをして、普段は見つめることのできない、表情を、指先を、見つめていた。

バーテンダーとはいえ、スマートという感じはなく、ワイルドさがある人だった。

それでも、そのワイルドさの中にある、カクテルを作るときの繊細さが好きだった。

 

「好き」だとは言う勇気はなかった。

言わなくても、よかった。

姿を眺めているだけでよかった。

 

でも、心の奥の方では、何か起こらないかと、期待していた。

お酒に酔った勢いで、なんてことがないのだろうか。ちょっとした間違いで。そう、間違いでよかった。

 

ただ幸か不幸か、酔って記憶をなくすことなんて、なかった。

酔って理性をなくし、暴走することもなかった。

やたらお酒に強い、礼儀正しい飲み方をする、そんな人になっていた。

 

いい子になんて、ならなくてよかったのに。

 

マティーニの、ほろ苦さを思い出すたび、ちょっと昔のほろ苦い恋を思い出す。

 

久しぶりに、マティーニが飲みたくなった。